レット姫の次女が、生まれた頃から医ケアになった今までのことを簡単にまとめてみます。
NICUを退院してからは
顔を見たら笑うとか
普通に育っているように思えましたが
ミルクを飲んだ後のゲップで鼻や口から
タラーッとミルクの戻りがあることは
上の子の育児とは違う点でした😥
よくもどす子という印象。
そういえば
黒目がグルッと上にいって
白目になって吐くこともあったっけ🤔
3ヶ月くらいの頃
寝る前に上の子に絵本の読み聞かせをしながら
次女にミルクを飲ませていたところ誤嚥してしまい
吐かせたのですが、チアノーゼが出たので
救急車を呼び入院するということが😱💦
病院に着いた時には呼吸も安定していたので
大事には至りませんでしたが、
念のため1日入院しました😞
1歳半の頃
自分で座れない、立てないということで
PT(理学療法)の訓練が始まり、
長野でできる染色体異常などの検査もしましたが、
異常がみつからなかったので
とりあえず発達遅延という病名がつきました。
2歳になってもやはり大きな変化はなく
国立精神神経医療センター武蔵病院で
精査をすることになり
東京で1週間入院しましたが、
その場で判る検査結果では異常がみつからず
遺伝子検査の結果を待つことに。
東京へ診察に行く前
次女の手の動きが気になっていたので
ネット検索で出てきた
『レット症候群』ではないか?
とドクターに投げかけてみたのですが
目線も合うし、よく笑うので可能性は低いと
言われたんですよね〜。
遺伝子検査は
1つの病院で1つの疾患を検査し、
潰していくから時間がかかると言われ
回答をまっていたのですが、
結局病名が判明したのは5歳になる頃。
やはり『レット症候群』でした。
それまで
『発達遅延』『明るいタイプの自閉症』など
いろいろ言われてきたので
病名がはっきりして安心したことを覚えています☺️
それに『レット症候群』は
全国での交流がある親の会の存在や
小児慢性特定疾患に指定されていて
医療の補助があることも
不安が拭えた大きな要因であったと思います。
2歳の頃
斜視もみつかり、
眼鏡矯正をすることになりました。
(眼鏡は小4くらいの頃、必要なくなりました)
4歳の時には
インフルエンザA型で熱性痙攣重責になり
救急受診、入院。
5歳でてんかん発作が始まって
大発作の重責のため
受診や経過観察入院が続きました。
大発作は入学するまでありましたが、
小学部に入学してからは
薬でコントロールができ
慌てることもなくなり再発を恐れつつも
現在に至っています。
7歳の頃は
無呼吸のような様子があったので年1回、
心電図と無呼吸の検査もするようになりました。
この頃、
側弯には“プレーリーくん”というコルセットが良いと
日本レット症候群協会のサマーキャンプで
開かれた講演会で知ったので
まだ背骨はそれほど曲がっていませんでしたが
進行が早まらないよう
予防的に着け始めることにしたおかげか
急激に進化しなかったのかなぁ?と思います。
でも
オペの要因となった胃腸や気管の問題は
側弯が大元になっているようなので
難しいなぁと思っています😢
11歳の時
学校から「給食中に大量に吐いた」との
連絡があり、
風邪などの症状はなかったため、
こども病院で
胃腸の検査をしてもらうことになりました。
この時の診断は『消化不良による慢性胃炎』
普通食から1段階落として
お粥ややわらかい食事形態にすることになり、
摂取カロリーも減っていたので
ラコールという栄養剤やフォローアップミルクで
補給するようになりました。
12歳の頃からは心配なことが…💦
寝起きなどに膝を曲げて全身拘縮し、
冷や汗を流すということがたびたびあったのです😥
整形のドクターに聞くと
『クローヌス』だろうとのことでしたが
特に治療的なことはなく、
他県のレット姫のパパに
「膝の下に三角マットを入れて眠ると良い」
と聞いて試してからは
そのような症状がほとんど出なくなりました✨
そして14歳で胃ろうと噴門形成のオペ、
15歳で喉頭気管分離のオペを受けて
今日に至ります。
オペに至るまでの詳しい状況については
別の投稿に書いていきたいと思います❗️
#レット症候群 #医ケア児 #障がい児
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